忘備録

2023、10/8(日)12:48、東京、今は曇ってる

 

たまに思い出しては苦しくなる記憶

泣きたくなる記憶

我が家は認知症の宝庫だ

母も水頭症のせいで

下の感覚がなくなりオムツをしなくてはならなくなり

さらに徘徊をして迷子になってしまい

ミニパトカーで帰って来たこともある

母はミニパトカーから誇らしげに手を振っていた

「心配したのよ」

「そう?」

母らしい

昔から何か事があると

「そう?」

と流す母

母の処世術だったのかも知れない

 

要介護3となり医師から

看取りの準備に入った方が良いと助言を受け

介護老人福祉施設に入居した母

入居後

居心地が悪そうな母

合わなかったら施設を変えようかな

 

この施設に決めた時

マンションのようで綺麗だと思った

個室があり

入院でも個室しか入ったことのない母には良いと思った

 

でも

母が入居して生活が始まると

スタッフが少なく疲れている人が多いのが気になった

私が母に会いに行くと

母は部屋の外に出ていた

 

「部屋にいないの?」

「出ているように言われたの」

 

たぶん

母が部屋に入ったままだと

少ないスタッフでは見守りが大変だからだと思った

外のリビング空間にいれば

わざわざ部屋を覗く手間もないし

だから

車椅子の人も,寝椅子タイプの車椅子の人も皆リビングに出ていたわけだ

 

大切な母だから

週1には会いに行った

痩せて来たようだ

だんだんと最後に向かっている感じ

苦しい

悲しい

この気持ちを本当に共有できる兄弟は私にはいない

 

母のことだけで一杯になる私

 

それでも

夫は日々の用事を言いつけてくる

車を買い替えることに夢中な夫

私から見れば無神経な夫

夫から見ればどうなんだろう

 

今の私の心の中わかっている?

母をもう時期失うんだよ

 

今の私の状態は無視

 

介護のことで離婚する夫婦がいるのにも納得

 

自分の親が大切な人は多いと思う

私からみたら夫の親は他人だし

私の親は夫からみたら他人だし

 

独身の義兄は

「大変だからこっちの親は気にしないで良いよ」と言ってくれるのでありがたかった

義母も病院へ入っていたから

 

こんな感じで自分の感情でいっぱいになってしまうのが介護なんだと思う

 

介護老人福祉施設に入って

2週間目の朝

母は急死した

死因は窒息死

誤嚥による窒息死

 

スタッフが気がついた時には

すでにチアノーゼが出ていたという

 

母の指先が青かった

 

その前の水曜日に面会の行った時には

大分弱っていたけど元気そうだったのに

病院へ搬送された時には新肺停止

 

医師は心臓マッサージをしてくれたけど

母は蘇ることはなかった

 

警察が来て検視をすると言われた

事件にするか聞かれたけど判断する事が出来ない

迷ったけれど母を解剖するのに抵抗があったので

結局事件にはしないことにして

解剖はなして検視のみ

 

母が帰ってくるのに1週間ほどかかった

 

ずーっと悲しくてモヤモヤしていた

 

葬儀が終わった後施設長にお願いして

スタッフの聞き取りをした

心が納得していなかったから

 

母が亡くなった日のスタッフ全員への聞き取り

母が亡くなったその日の時間は

スタッフ交代の時間前後だったようだ

 

母が亡くなった事を連絡してくれた

スタッフが

「自分だったら助けられた」

との言葉

 

母が亡くなった時間のスタッフは

気弱な感じの男性

施設長がショックを受けていると言っているが

たぶん

「まさか死ぬなんて思わなかった」

と君は思っているよね

人間は簡単に死ぬんだよ

 

そんなスタッフが担当だなんて

運が悪かったのかも

私が選んだ施設が悪かったのかも

 

でもスタッフもかなり疲れていた

 

ずーっと悩んで

私は五円禿げになってしまった

 

あれから5年

ようやく話せるようになった

 

徘徊でまわりの人を心配させた母

 

母と家庭のバランスを上手くとれなかった私

 

しばらく夫が嫌いだった私

 

母と一緒に棺桶に入りたかった私

 

時間と共にその感情も緩和される

 

ただ今だに母の夢を沢山みる私

 

急死だったので

 

自分が亡くなったのがわからないのかも

 

母ならば有り得るな〜